創業317年。岩手 老舗旅館物語
このブログは僕、小原つむぎが生活の中で
・本業、老舗旅館のリアルな物語
・自然と共存する生活に関して
を中心に
・感じた事
・考えたこと
を綴ります。
運営者、小原つむぎとは?
なぜか今どき、小さい村の産婆さん宅に生まれる(体重はバネ計り)
小学校は北海道の大雪山国立公園付近、全校生徒11人の小学校で、乗馬やアイヌ民族との交流、農業に明け暮れる。小学六年生の時、家族をおいて一人、母の出身地である岩手に移住を決断。その一年後に、母が実家の創業300年の旅館を、震災による洪水のピンチから救うために帰還。母子家庭生活が始まる。必死に手探りでやりくりする母を見て、旅館を継ぐことを決断。修行のために18歳から、六本木ヒルズの飲食店に住み込みで働く。その後、株式会社「ひらまつ」に入社。六本木の中心街に住んで、国立新美術館「ブラッスリーポールボキューズ」、日本橋三越「ASOチェレステ」で働くも、2016年の5月に経営の道を選び岩手にUターンしました。
名前 小原つむぎ
生年月日 1991年5月25日生まれ。
出身地 岩手県
職業 旅館業
趣味 料理、カメラ、生け花
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二分でわかる‼死ぬまでに必ず行くべき、平泉のヤバさとは
世界遺産 平泉
聞いたことはあるけど、よく知らない。
そんな人は少なくないはず。
そんな人の為に、小学生でもわかるようにお伝えします。
いきなりですが、平泉の最大の魅力は
「天国に最も近い世界遺産」
です。
どうですかこれ。
もし、これが本当なら一生に一度は行きたい場所ではないでしょうか?
大げさだろって思う人の為に説明しますと、
平泉観光協会の公式ホームページにこう書いてあります。
‹一部省略›
『平泉がなぜ世界遺産なのか』
平泉には、仏教の中でも、特に浄土思想の考え方に基づいて造られた多様な寺院・庭園及び遺跡が、一群として良好に保存されています。平泉の理想社会の表現は、他に例の無いものとされています。
浄土をグーグルで調べると真っ先に
(仏が住する清らかな国)
と出てきます。
他の辞書では
浄土
意義素 | 類語 |
---|---|
死んだ後に人が行くといわれている世界のこと | 黄泉 ・ 黄泉の国 ・ 黄泉比良坂 ・ 天国 ・ あの世 ・ 向こう ・ 彼岸 ・ あっち側 ・死後の世界 ・ 冥府 ・ 陰府 ・ 冥界 ・ 常夜の国 ・ 極楽浄土 ・ 浄土 ・ 天上世界 ・天界 ・ 天上の楽園 ・ 後生 ・ 後世 ・ 来世 ・ 未来世 |
と、書いてありました。
他に例の無いものとは、前例のないという意味です。
また、ユネスコ憲章(前文)には
「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と記されている。藤原清衡の理想は、ユネスコの平和を希求する精神と合致するもので、その文化遺産の世界遺産への登録によって現代によみがえった。平泉の文化遺産が「平和な世界」の実現に寄与することを願わずにはいられない。http://heiwa-ga-ichiban.jp/sekai/hiraizumi/index.html
と書かれています。
そんな奇跡の平泉物語↓
今から約1000年前
父親が戦に負けて一緒に処刑されるはずだった七歳の清衡「きよひら」は、自分のお母さんが敵大将の息子と結婚したことで奇跡的に生き延びます。
ですが清衡は、大人になって弟に突然襲われ、嫁、子供、一族が皆殺しにあいます。
なんとか一人生き延びた清衡は、一族のかたきを討ちその後国を任されました。
そして当時いくさで多くの犠牲になった、敵・味方関係なくすべての命を想って、黄金や宝石を沢山使ったお寺を作りました。
それが中尊寺です。
その想いが息子と孫にまで行き届き、平和の都ができていきました。
孫の秀衡が、指名手配の源義経をかくまったことがきっかけで源頼朝から目をつけられ、四代目泰衡がかくまえきれず、滅ぼされます。
ですが、争いを求めなかった平泉の一貫性は 今でも人々の心を惹きつけるのです。
金色堂の中には今でも、藤原四代のミイラと体の一部が眠っています。
この平和の想いは、宮沢賢治や多くの岩手県民性に影響していると言われています。
あの松尾芭蕉は平泉におとずれた際に、
夏草や兵どもが夢の跡「なつくさや つわものどもが ゆめのあと」
と読んでいます。
訳「今見れば、このあたりは夏草が生い茂っているだけだが、昔は藤原氏たちが、その繁栄や栄華を夢にみた場所なんだなあ。でも、自然の営みの中では、そんな繁栄や栄華も、むなしく一時の夢になってしまい、今はだた夏草が無心に茂るばかり。」
この俳句からも、平泉独自の魅力が感じられます
現在でも、蓮の花を折り紙を折ったり、終戦記念日に訪れた人との絵の合作会する平和活動などさまざまな行事が行われています。
人生一度は、世界平和の理想郷 平泉へ訪れてみませんか?
日本にいるなら絶対見たい絶景 驚異の満足度「4.7」 猊鼻渓
2016年8月28日現在
グーグルの口コミ4・7 『5点満点』
この驚異の口コミをほっとけますか?
ここ猊鼻渓開業の宿「かぢや旅館」18代目が、裏話を暴露します。『僕自身、最大のリピーターです』
岩手を代表する観光地「猊鼻渓」
読み方は、げいびけい。
ここは超絶おすすめの絶景ポイントです。
有名になる前は、絶対の秘境と呼ばれていたそうです。
理由は昔、藩の役人が来たときに、接待の負担を逃れるためなどに藩に提出しなければならない風土記や絵図にも、この渓谷の存在は隠されていたとか。。
さらに、映画「忍」のロケ地にもなっています。
忍者は外国人からも注目を集めているようですね。
そのイメージに一致する場所なんです。
しかも、国の天然記念物なので人の手はほとんど入っていません。
魅力はまだまだあります。
あの平泉藤原ゆかりの人々がいくさに負けたあと、隠れて生活していた。
この川でとれる砂鉄や砂金があの平泉文化を支えていた。
など、魅力を上げたらきりがないです。
新緑と藤の花 春
深緑と涼しい風 夏
真っ赤に染まる 秋
こたつで鍋を食べながら、水墨画の世界、冬
朝一番。始発、8:30の舟が一番おすすめです。
日の入り方と、鳥の声、餌に群がる魚や鴨とのふれあいなどたのしみたいのであれば。
カモシカやトンビにもあえるかも
「これ僕です。まれに、人に慣れた鴨にあえるかも」
竿一本で時に50人以上の舟操る、船頭さんの魅力も必見です
人力のみで往復する舟下りは、全国でもここだけ
しかも、船は船頭さんの手作りで、工房まで覗ける時もあります。
120メートルの渓谷に響く、自然のビブラート。民謡 げいび追分
地元愛の伝わるトーク
個人的には美幸さん唄と、修さんのトークが大好きです。
https://www.facebook.com/osamu.itou.948?fref=ts
最後は鮎の塩焼きか、十割そばを食べるのがおすすめです。
最後一言
うちの女将は、世界遺産中尊寺よりも感激するとご案内していました。
山奥の絶対の秘境に、今では東京駅から3時間で来れてしまうんです!
因みに同じ一関市内に、あの伊達政宗が愛したとされる厳美渓「げんびけい」という渓谷もあるので、是非2つとも見ていただきたいです。